2014年06月23日

ハッタスリー卿の言葉を借りて



幾度も読んでは涙した卿の記事を
ノーマン・テイラー邦子さんのサイトからふたたび転載。

見送り方に違いはあれど、気持ちはおなじ。

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イギリス政界の要人かつ重鎮であるハッタスリー卿は、
すぐれたジャーナリストでもあります。
卿が15年連れ添った雑種のバスターをなくし際に、
デイリーメールに寄稿した記事は胸をうちます。

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『バスターが死んだんだぞ』


犬が死ぬということは、おそらく日常のささいなことであろうに、
私はその大きな喪失感に耐えられず、身の置き場がなくなってしまう。


私の元へ全速力で駆けてくるときの首輪のメダルのちりんちりんという音。
風呂に入れた後の濡れた犬のにおい。
30秒で食べる朝ごはんのボウルのかちゃかちゃいう音。
シャワーを浴びる時間が少し長くなったとき、突然ぬっと入ってくる姿。
タオルをとろうと手をのばしたときに、
思いがけず彼の顔に水滴がかかったときの恨みがましい顔。
雨そぶるピーク・ディストリクトに、彼に催促され連れ出されたときのひどい寒さ。
彼のいびきで夜中に眼が覚めたり、
出かけるときのハーネスの毎回の複雑な装着のめんどくさかったこと!

しかし、叶うことなら
私はまたもとのあの不便な生活に戻りたくてしょうがない。
車の中ではいつも眠っていたが、ロンドンからダービーシャーに戻るとき、
なじみの村の角っこをまがると、突然起きて歓喜の声をあげた。
家に戻って一部屋一部屋においをかいだあと、
階段の踊り場で窓の外をながめ、行く人々をながめていた。


バスターと階段に座ってよくやるゲームがあった。
ビスケットをひとつの手に隠し、バスターの前に差し出す。
バスターは手でそっとどちらか入っているほうの私 の手をたたくのである。
それはそれは優しい叩き方であった。
ゲームはいつもバスターの勝利に終わるのであった。
こんな小さな思い出がとても辛く胸を刺す。

誰にとっても自分の犬は特別である。
なので私は書かずにはいられないことだけ書留めよう。
私のラップトップのコードにからまるバスターを見ない朝はなかった。
暖炉の薪の匂いをひとつひとつチェックしていく
バスターの手伝いなしでは冬が始まらなかった。

玄関にスーツケースを見つけると、その間に座りこんだ。
まるでまだらのスーツケースがひとつ加わったように。
もちろん、彼も一緒に行くつもりであることを明確に知らせるためである。

客がバスターの席(だと彼がみなしている席)に座ると、
客の横に激しくぴったり密着させて座っていた。
猫やウサギや家畜とはうまくいかなかったが、人間は大好きであった。
私の本の出版のときは、
読者のおばあちゃんがおやつをもってきてくれるのを楽しみにしていた。
決してノーと言ったことはなかった。講演のときは拍手のときだけ一緒に吠える。

この10週間私は考え続けていた。
私が彼の奴隷だったことはさておき、
私と彼をつないでいたものは何であったのだろう。
私は彼が自分の心の支えであることを楽しんでいた。
そして彼も私のことを心の支えだとみじんも疑っていなかったその気持ちを賞賛する。
彼は「希望」を放射していたのだ。


毎朝食料ドアを開けると後ろに必ずバスターが立っていた。
何かもらえると期待して。
バスターのことを先天的楽天家と呼んでいたが、
彼のことを毛皮を着た人間だという風にみなしたことはなかった。
彼は犬である。
人間のテーブルで物を与えたことはない。
犬専用のベッドで寝かせた。
犬として扱うことが彼に対する敬意である。
バスターが犬であってくれることで十分である。それ以上彼に望むことはない。

15年間彼の成長を見てきた。賢くなるのを見てきた。
年老いていくのを見てきた。獣医は彼は天寿を全うするだろうと予測した。
これ以上疲れて続けられなくなったときが逝くときだと。
「そのときは彼はあなたに教えるよ。」と獣医は言った。
そしてその通りになった。


短くなった毎朝の散歩でさえもきつそうだった。
朝ごはんもゆっくり食べると決めてしまったようだ。
そして一旦横になるともう起き上がるつもりはなかった。
最後の決断はバスターにとって
一番言い良い方法に基づくものでなければならないが、
私の安楽死の選択をひきのばしたいという気持ちとの戦いであった。

ある朝 私は一瞬の苦悶のときを過ごした後、獣医に電話をかけた。
獣医はすぐやってきた。
バスターはブルーチーズのかけらを食べながら死んだ。
普段は食べることを許されなかった、
錠剤を包むときだけ口に入れられた大好物だったブルーチーズ。

私の悲しみだけが特別だというつもりはない。
どれだけ多くの家族が落胆と絶望に陥っているだろうか。
ただ事実をここに述べさせて欲しい。

人生の中でバスターが逝ってしまったことほど痛みを感じたことはなかった。
そして人前で我も忘れて泣いて取り乱したこともなかった。

一階の私の仕事部屋の窓から、
人々が日々の生活を送っているのをながめているとき、
驚きとともに怒りを覚える。
なぜそうやって普通どおりの生活を送っているように振舞っているんだ。
時計を止めろ。
バスターが死んだんだぞ。

犬を過小評価するなかれ。 彼は永遠に続く財産を残してくれた。
彼が与えてくれた喜びの思い出である。
バスターにお手やおすわり、ごろり、握手、
死んだまねなど教えるつもりはなかったし、
彼も新聞をくわえてもってくるようなまねもしなかった。

しかし、彼は 〜たいしたことではなかったのかもしれないが、
私の人生を変えた。
バスターは私の人生は犬なしでは考えられないことを教えてくれた。

またレスキューセンターへ行って、雑種の犬を家に連れてかえることは、
バスターへの裏切りのような気になった時期もあったが、10週間後また私は探し始めた。
新しい犬はバスターの代わりではない。
誰もバスターの代わりにはなれない。彼の後継者はまったく別の犬である。

ただしその犬はバスターが輝きをもって示してくれた
「犬を所有することの至上の喜び」を再び証明してくれるであろう。

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posted by おふみ at 10:32| Comment(2) | ペットロス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ハッタスリー卿は・・バスターのために安楽死を選んだんですね。。
今まで猫以外の安楽死をさせたことはありませんでしたが・・それを選択したほうがいいと思ったことはありました。。
でも・・実行する前に亡くなったのですが。

深く考えさせられるけれど・・温かくもなるような犬と人との交流だったと思えます。。

犬なしの人生は・・あたしも考えられない。。

Posted by マイマ at 2014年06月25日 00:37
●マイマさん

安楽死が選択肢のひとつにあるのは
お国柄の違いも大きいと思います。
たとえどんなケースでも、悩ましすぎる・・・。

ハッタスリー卿の言葉が胸を打つのは
邦子さんの翻訳だからこそ、です。

No Dog, No Life. Me,too.


Posted by おふみ at 2014年06月25日 08:49
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